現在地

五官で観聴き感じたことをかきつけておきます

しょうもないけどどこかに書きつけたい話

父が車に乗っている時、気に食わない運転をするドライバーがいたとする。

そうすると、彼はよくこう言う。

 

「なんだ?女か?」

 

昔から不思議だった。おそらく小学生の頃からだと思う。

いつもはそれなりに優しく、外面もいい父が、時折でも定期的に見せる一面。

そしてドスをきかせたような言い方に、あからさまな不快感や不機嫌を感じて怖かった。

だんだん年齢が上がるうちに、この言葉自体への気持ち悪さを感じていった。

 

「なんだ?男か?」は聞いたことがないから。

 

あぁ、この人の中に男尊女卑があると気づくのに時間はかからなかった。

でも、自覚はないようだった。

女性進出推進はいいことだと、それを自分は理解しているように思っていたようだった。

実際にいろんな本を読むひとだったし、意見を聞くひとだった。不思議でならなかった。

 

自分の父が、こんな言葉を無自覚に放っていることが、自分にその血が入っていることが、ものすごく気持ち悪くて怖かった。

一度「それやめなよ、やめてほしい」と言ったことがあったと思う。

でも届かなかったように記憶している。また定期的にその言葉は吐かれ続けた。

気持ち悪くて怖いけど、放っておこうと思った。

 

大学を卒業し、親との距離感や今後の人生どれだけ会って話せるか考えることがあった。

私は、父とは話し合うことはできないと思っていた。

何を言っても聞き入れてもらえないことが重なり諦め、なにも言わずに言葉を飲み込み続けていたから。

でも、このまま死なれたら後味悪いなと思った。

自分が傷ついたこと、悲しかったこと、辛かったこと、きちんと言って説明しないと、自分自身が前に進めないと思った。

その言葉を処理するのは彼の問題であるから。

 

数年前、思い立って両親の前で父に思っていたことを伝えた。

身内を卑下して馬鹿にして、外の人間の前で話すこと。

女とか韓国とか、個々人に対してではなく、変えられないものについて勝手にラベリングをして差別的な言葉を発すること。

すごく嫌だったと伝えた。

 

父は言い返してはこなかった。

怖くはなかった。

でもどこまで届いたかもわからなかった。

 

それから、少しずつ自分の中で彼との距離感をうまく取れるようになってきた気がする。

 

でも、また最近あったのだ。

 

「なんだ?女か?」

 

ショックだった。

でも、その場で自分が感じたことを伝えた。

「それは関係ある?男か?って言っているところは見たことがないよ。どうしてそういうことを言うの?」

 

また黙った。

 

彼にとっては、意味なんてないのかもしれない。

女か?って言っただけじゃないか、ということなのかもしれない。

 

それがさらに気持ち悪い。

私の中の何かがどうしようもなく怒る。

それだけじゃん、って言葉は、

自分にとっては"重要なそのこと"は、相手にとっては"なんの意味もないどちらでもいいこと"だという意味だと思う。

問題点を共有できないことに、余計に悲しくなる。

 

最終的に自分の行動を決めるのは本人だ。

誰も強いることはできない。

それも含めて、私の言ったことをどう受け止めて処理するかは彼の問題なんだ。

それもわかっているつもりだ。

 

私に問題があるのかもしれない。

イライラしているのかもしれない。

それこそ特有の感情的な、みたいな。

なんか本当にそういうのがつらい。

だったらなにも感じなくなりたい。

 

私は、男性、女性と呼ぶ。

女、男とは呼ばない。

でもいま、パートナーやその友人達がそう呼ぶ。

 

それがすごく怖い。

 

 

 

実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。

「実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。」ペス山ポピー

 

暴力を受けることでしか興奮できない主人公。23歳恋愛経験なし女性。

いろんなところで自分の欲求欲望を表に出すことができない、隠さないといけないと思って過ごすことがいかに難しいことか。自分のしたいことを抑える=自分を偽ることでもあって、自分で思っている以上にすごく苦しかっただろうなと思った。

だからこそ、誰かを好きになることってすごくて、ましてやその相手からも好かれるって肯定されるって、本当に世界が変わることだと思う。その描写がとても素敵だったし、それゆえ、主人公が自分を偽り出して相手に本当の苦しさを伝えないまますれ違っていく様はすごく切なかった。

 

自分を受け入れることは本当に難しくて、でもそれができないと誰かを大切にすることはなかなか難しくて。

自分のこと、守ろうとしすぎたらだめなんだよね。傷つかないなんてないから。一番傷つけたくない人を傷つけることになってしまう。もう戻れないほどに。

 

その痛みを感じ切ったところがすごくグッときた。ごまかさないで、落ち込み切ること。怖くて自分にはできないことかもしれない。

 

かなりディープな内容なのに、とても読みやすいのはなぜなんだろう。

 

手くらいの距離感

演劇のワークショップで先生が話していた。「演者と役のいい距離感」

 

自分ごとだと、距離はゼロ。

同化してしまって、客観性がない、

そうすると、他の人は「そうなんだ〜」と共感するしかできない。口を挟めなくなる。一緒に役を作っていくことができなくなる。

 

他人ごとだと、関係がない。興味がない。

 

自分の手のことを話すくらいがちょうどいい。

それは、自分の一部だけれど、客観的に離れてみることができるから。

他の人も「客観的に見ているな」とわかるから。

手は自分の一部であるし、なにかを行うための道具として自由に動かすことができるし、自分自身としてタイムラグなく反応することもできる。

 

 

誰かを支援したり寄り添う時も、この距離感が大切かもと思う。

客観的な視点があって、他の人が入ってこられる、一緒に作ることができる距離感。でも、繋がっている、感覚を共有することができる距離感。

近すぎてしまったら、結局共倒れちゃう。ひとつになってしまわないで、ふたつでいることは大切なことなんだなぁ。

SAKANAMON「コウシン」


【3ヶ月連続配信Single第一弾!】SAKANAMON「コウシン」ショートMV

SAKANAMONというバンドが私は心底好きで、毎回ライブに行くたびに心が満たされて、この3人にしかつくれない歌えない曲ばっかりだなあと思って、ライブ来てよかった生きててよかったと大げさにも思うんですが、「コウシン」は先日の高円寺UFOCLUBでも演奏していて、ものすごく刺さった一曲だった。


コーラスと細かくて鋭いギターフレーズ。
ちょっと不思議なコード感のBメロ?のあとのサビの開放感疾走感が、ほんとにSAKANAMON
ジャキジャキのギターをかき鳴らしながら歌う元気くんの声。きれいなのにのびやかなのに、ざらざらひっかかって。
なんども聴いてしまう心地よさ。


今回も歌詞がいい。以下引用。 

”絶え間無い痛みなんて良しとして 味わいに目が醒める様な
新章が 待ち構えているよ そんな気がした”

傷つくことも味わい。むちゃくちゃ素敵な表現。
どうやったって傷つかないで生きていくなんて無理で、むしろ傷つきたくないって不可能な生き方していく方が、最終的には大事なものを大切にできなかったりなくしたりするんだなぁと、やっとこ頭と心とでわかってきた29歳にはしみます。そう思える人になりたい。

有り得ない程の大打撃を受け 流石に草臥れても
容赦無い痛み全部糧にして形成された今が良いんだ

ここも好き。めちゃめちゃべたかもしれないけど、「色々あったけど、そんな今もわるくはないよな」的歌詞大好き芸人の私の琴線に大打撃。ここまで振り切って思えるまでには時間も気持ちの整理も追いつかないけど、そうなんだ。全部糧にして形成された今がいい。
今まで生きてきたことは間違ってなかったんだよって、言ってもらえてる気がする。


中学生の時、アジカンくるりを聴いて、自分の中にある感情にすこしずつ名前がついていった。もやもやに区切りがついていった。ひとつひとつが、引き出しにちょっとずつしまわれていく、自分の中におさまっていく感覚を感じていた。
いまもそう。音楽を聴くことで、心と感情と出来事を整理していくのを手伝ってもらってるような感覚。
こうやってまた今夜も越えていく。生きていく。
 

最近気になっているもの

舞台「みみばしる」

ラジオと演劇のコラボ…今週行きたい。毎公演後にトークショーがあるという豪華ぶり。「きみにしかきこえない」ってコピー、素敵。

mimibashiru.com

 

映画「書くが、まま」

”あらすじ
松木ひなのは、自分の想いを書くことでしか表現できない中学2年生。嫌なことを嫌とも言えず、クラスでのいじめは日に日にエスカレートしていた。

そんなある日、逃げこむように入った保健室で、先生の進藤有紀と出会う。はじめて自分を受け入れてくれた有紀に、ひなのは少しずつ心を開いていく。

しかし”あること”が発覚し、全てが崩れ去っていく・・・”

やっと!2月3月で見に行けそうで!嬉しい!!
自分の仕事とも関連しているところがありそうで楽しみ。

kakugamama.strikingly.com

 

 

「いつかティファニーで朝食を」マキヒロチ

 

昨日から読み始めた「いつかティファニーで朝食を」(マキヒロチ)。

友人が読んでいるのは知っていたしTSUTAYAにもあったのだけれど、なんとなく手にとっていなかった一冊。(こういうの多い)

 

主人公の28歳佐藤麻里子が同棲中の恋人と決別して、おいしい朝ごはんを食べながら自分の生活を見直していく…という感じのお話。

年齢も近いし、麻里子さんが考えることって私も非常に共感するとこが多くて、ものすごくすーっと内容が入ってくることに驚いた。

自分が同棲(のようなもの)をやめたとき、「ああ、一人でなにしても自由なんだな」って思った感じとか、どこかしらで自分が好きなものや合っているものに対してのアンテナがにぶったりする感じがうまく描かれていて、心地よかった。

 

ご飯をおいしく食べられるって本当に幸せなこと。このマンガに出てくる朝食、どれもむちゃくちゃおいしそうだし、「ああ幸せ~~!!」っていいながら食べてる姿に幸せをもらえるんだなぁ…

 

最近本当に朝ごはんを軽視してしまっていて、全然朝起きられないし食べない日もあったり、だめだなぁって落ち込んでもいたのだけど、単純に「朝ごはん食べるの楽しそう!」って思わせてもらった。明日は近くのパン屋さんにモーニング食べに行きたいなあってわくわくしている。

 

自分の生活を自分で満たしていくひとたちの毎日の物語。こうやってみんな日々を自分なりに楽しく大事にしていけばいいのかも、って思えたので、続きもゆっくり大事に読んでいきたいな。